法話

2015.04.14 袖振り合うも多生の縁

 旅先や出先の電車やバスでとなりに座る。あるいは、道を聞くとか見知らぬ人と会話したり、また、すれ違うだけでも、実は見えない縁で結ばれている。ということでしょうか。
 最近は、あまり使われませんが、年配の方々でしたらご存知かもしれません。が、「多少」は誤りで「多生」が正しいのです。
「多生」とは、仏教の生命の考え方では、私たちは、遙かな昔から何度も生まれ変わり死に変わりしているのです(輪廻転生)。人との縁はすべて単なる偶然ではなく、過去からの深い因縁によって結ばれているのです。だから、今、夫婦や親子、友人であることはもちろん、すれ違うだけでも「多生の縁」なのです。どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えです。

一覧へもどる