法話

2014.12.06 功徳ということ

昔 中国の武帝という王は、国内に多くの寺院を造営し、僧侶に土地や金銀を寄進した。
高僧として有名な達磨大師に「私には、どれだけの功徳が、もたされるのか?」と尋ねた。大師はひとこと「無功徳!」と。
 武帝は怒って大師を国外追放してしまった。
 仏教では、執着こそが煩悩の原因と考えるので、「自分は、これだけの財施をした。」あるいは、「社会のためにこれだけ貢献した。」と。するとそれに対する見返り(功徳)を期待する。
 たとえば、たまたま困っている人に金銭等の施しをして、「ありがとうございます」と
感謝の言葉が返ってこなかったら、あなたは平静でいられるだろうか?
「なんだ、この人は、お礼を言えないのか!」と内心、怒りがこみあげるでしょう。
では、何のために施しをしたのでしょうか?

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