法話

2013.01.05 正月に想うこと

新年あけましておめでとうございます。
当妙建寺にも大勢の初詣の方々が訪れました。除夜の鐘をついて煩悩を祓い清め、心を新たにして希望ある年にしたいとの願いが伝わってきます。
 ところで一休禅師は、狂歌に「門松はめいどの旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と詠んだと伝えられています。正月にドクロを釣り竿に吊して「ご用心 ご用心」と叫びながら町を歩き、町衆から「縁起でもない」と非難を受けという伝承もあります。
 正月がお祝い事なのは、無事に正月を迎えることができたという喜びからですが、一方で一つ年をとるということは、死に一歩近づくということでもあります。もちろん生と死は常に隣り合わせなのですが、普段意識しないか、或いは考えることを避けるように振る舞っています。その表に出したくない心情を、一休さんは狂歌に表したのですね。
 日蓮聖人も「まず臨終のことを習うて、他事を習うべし」と。死を考えることから、生きることを考えるべきと、説いています。

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